子育てと子供の将来における男女平等と男女差の考え方と教育

子育てと子供の将来における男女平等と男女差の考え方と教育
今回のテーマは、

子育てと子供の将来における
男女平等と男女差の考え方と教育

について紹介します。

男女は平等であるべきですが、
男と女は違うものです。

そこに優劣はないですが、
得手不得手は確実にあります。

男性にしかできないこと
女性にしかできないこと、

男性の方がいいこと、
女性の方がいいこと、

こうした相対的かつ
バランスを考えていくことが、

人類の共生のはずです。

しかし画一教育を始め、

偏った平等主義がまかり通る
教育システムを見ると、

何か本質的に見失っている気がします。

確かに現実の社会生活には
様々な問題があります。

こうした問題に直面した時、

自分の判断の基準になるものは

それまでの学校教育などで
蓄積したきた「知識」と

生活体験を通じて培ってきた
「知恵、賢さ」です。

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男女平等と男女差についての本質

しかし、実際には学校で教わった
知識が役立つ事はありません。

知恵や賢さが有用な事の方が多いのです。

例えば今の日本では

「男女雇用機会均等法」
「夫婦別姓制度」

などの問題に象徴される
男女平等の問題があります。

男女同権は憲法で
定められてはいるものの、

社会の実態がそれに
伴っていない男女差がある事は、

大半の人が認める所でしょう。

同じ学歴で同じ年齢の男女が
同じ会社勤めをしていても

仕事の内容、給与の額、
昇進の早さは違うのが普通です。

しかし、そうした違いが
個人の資質によるのでなく、

性差によって起こるのは
不公平なのではないかという事で、

近年は女性側から
裁判も起こされています。

裁判の結果は、だいたい
予想がつきます。

なぜ予想がつくかと言うと、

法律の判断というのも、時代の
趨勢と無関係ではないからです。

女性が不利で有利な時代

例えば今、業務の必然から
環境を悪化させた企業と地域住民との
間で裁判が起こったとすれば、

まず企業側は負ける事が多いでしょう。

これがもし一昔前の
高度経済成長時代だったら、

企業側が勝手住民側は負けたはずです。

なぜなら企業のはたす
経済的役割が重視され、

住民の人権は省みられる事が
少なかったからです。

だから男女不平等に関する裁判は、

概ね女性有利に判決が
降りるはずだからです。

男性有利、女性不利から始まった
男女平等運動の反動が、

男性不利になってしまうのでは
本質を見失っている気がします。

こうした観点は、
子育てと子供の将来においても
考えなければいけないテーマです。

男女平等と男女差を意識した子育て

男女平等の視点から見ても

時代は大きく変わり、
昔は男しかやらなかった仕事に

女性たちがどんどん進出しています。

建設現場などでも働く姿を
多く見かけるようになりました。

今あらゆる分野で、男女差
男女の垣根が取り払われつつあります。

男性も女性も才能を発揮して
社会に貢献できるようになる、

そういう意味では、

望ましい状況になりつつある
といって良いでしょう。

これからの子育ても
男らしさ、女らしさを

意識しすぎると、時代との
摩擦が起こるかもしれません。

価値観は常に変わっていくのですから、

柔軟性を発揮して「賢さ」を
磨く教育がますます

大切になっていくでしょう。

ところがそんな時代になっても、

スケールは小さいものの
相変わらず話題になるのが、

「お茶汲み」の問題です。

男女平等社会における子供の将来を考える

お茶汲みは女性の仕事だと
頭から決めてかかっている男性もいれば、

女の仕事と決まっている訳じゃない、
男性社員だってやるべきだ、

と主張する女性もいます。

また飲みたい人間が自分で
いれれば良いじゃないか、

誰かにいれてもらうという発想は
もうやめた方が良い、という人もいます。

現実には職場によって色々な
スタイルでやっているのでしょうが、

こうした問題を解決するのは、
やはり知恵と賢さの部分でしょう。

「こうだ」と決めつける人は
学校の型にはめるシステムを
踏襲した人物な気がします。

子供の子育てや教育も、

学校の勉強重視の
頭がいい子に育ててしまうと、

こうした対応で問題を起こしがちです。

例えば、

ある女性の体験談ですが

どこかの学校へ行って女性の
校長先生と面会した時、

男性の教頭先生がお茶を
入れて出してくれたのです。

彼女はいたく恐縮してしまったのですが、

校長先生に言わせると、

それは教頭の役目だという事でした。

何だかとても落ち着かない気分で、

私が変わってあげましょうかと
言いたい気持ちだったと言います。

柔軟さを奪う教育システム

人によって考え方は
色々あるでしょうが、

今の日本社会のあり方で言えば、

飲みたい人は基本的に
セルフサービス、

しかし外部からの来客の時には、

手の空いている女性が入れて
出すというのが、

無難な所ではないでしょうか。

それが嫌なら断る権利も
もちろんあるはずです。

それを「型にはめよう」という
考え方自体がナンセンスな気がします。

男の仕事じゃないとか、男女平等
なのだから男だってやるべきとか

そういう硬直した考え、

また平等を意識しすぎるのは
どうもあまり賢いとは言えません。

また校長だから、偉いのだから
お茶を入れてはいけない

ということもないでしょう。

教頭先生がいれる時、

「いいですよ、私がやりますから」

と気軽に言えるような校長だったら、

もっと賢く、かえって
奥ゆかしそうに見えたはずです。

そうです。

賢さには柔軟さが重要なのです。

しかしまだまだ

「型にはめる」
「ルールを画一化する」

これが教育システムに
根深く根付く考え方のようです。

こうした考え方に凝り固まれば、
人類の進化は遅くなりそうです。

男女平等、男女差というのは
今後ずっと関わる問題です。

子供の将来を考えたら、
やはり賢さを伸ばす子育てや教育を
意識すべきでしょう。

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