日本の画一化した教育の問題、危険性と個性を尊重する大切さ

日本の画一化した教育の問題、危険性と個性を尊重する大切さ
今回のテーマは、

日本の画一化した教育の問題、
危険性と個性を尊重する大切さ

について紹介します。

以前テレビで放映された
ドキュメンタリー番組で、

『戦没画学生たちの記録』

というものがありました。

東京、学芸大学で
絵画を勉強していた学生たちが、

徴兵されて戦地へ赴き、

心ならずも若い命を散らせた
軌跡を追ったものです。

遺された手紙やノート、
戦地で鉛筆をとって描いた
自画像などの作品をもとに

生き残った戦友たちの思い出話などを
織り交ぜて構成していました。

中には新婚の妻の
裸婦画を遺していった学生もいましたが

彼らの無念を思うと、

改めて戦争の非人間性を
強く感じたものです。

これまでも繰り返し言われてきた事ですが、

日本が太平洋戦争に突入し
敗戦を迎えるまでの間には、

天皇制を背景にした
国家体制と、

そのシステムを徹底させる教育が
ずっと行われ続けていました。

それは究極な意味で言えば、

決して人間一人一人の
自由や個性を認めるものでなく、

天皇の手足となって働いたり、

戦ったりする人間を
育成するためのものだったのです。

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日本の画一化した教育の問題や危険性

従って必然的に
教育は画一化してきました。

逆に言えば、

教育が画一化したとここそ、

国というのはある危険を
はらむ事になるのです。

そしてそれがおおむね
望ましくない、

恐ろしい結果を招く事は
歴史がよく証明する所です。

そして、敗戦とともに
西洋式民主主義が持ち込まれ、

教育は一転して個人の自由を
基本においた、

多様性のあるものになりました。

日本の歴史から見れば、

それはコペルニクス的回転でしたが

日本人はそれなりに消化し、
こなしていったのです。

しかし注意深く振り返ってみると

戦後日本の教育が
本当に個人の自由を尊重し、

子供たちがそれぞれの
個性を伸ばすような方向で
行われてきたかと言うと、

どうも心もとない気がします。

ごく少数はそういう例も
あったかもしれませんが、

大部分はいつの間にか、

戦前とは別のスタイルで
画一化された教育になっているように
思われるのです。

マニュアル人間を作るのでなく個性を尊重する

それがよく物語っているのが、

最近のマニュアル・ボーイたちです。

人と人の関係が
希薄な中で育ち、

あまり深く他人と関わらず、

かといって明確な主体性もあまりなく

強く自分を主張する事も
ないという若者たちは

そういう画一化された教育の
産物かもしれません。

彼らは、果たしてこれからの
国際化の時代に、

他の国の人間たちと
上手くやっていく事が出来るでしょうか。

もう亡くなった精神病学者の
萩野恒一さんと言う有名な先生がいます。

その先生がよく言っていたのが、

国際化というのは日本が
アメリカナイズされる事ではない、

またヨーロッパになる事でもない。
また逆にアジアになる訳でもない、

日本は日本でなければならないし、
アメリカはアメリカでなければならない。

教育でも個性を尊重するのが大切

つまり各国にはそれぞれ
固有の文化があって、

その固有の文化をベースにして、

そして仲良くするという事が
本当の国際化だと、

そういう事です。

つまり、

「みんな違って、みんな良い」

ということです。

そしてお互い同士が
それぞれの個性を認めること、

これが国際化時代には欠かせない、
「賢さ」になるのです。

何かと言うと同じような
人間が集まって徒党を組み、

異質なものを排除するのは
日本人特有の気質です。

良い面もありますが、
問題もある訳です。

最近はどうか知りませんが、

ひところ「外国人お断り」の
貼り紙をしていた街の不動産屋がありました。

外国人による犯罪も増えてきましたが、

国際化には何らかの
リスクはつきものです。

それは覚悟しなければなりません。

異人種が付き合いを
深めるためには、

度量の広さと忍耐を含めた
賢さが必要でしょう。

そういう賢さを、

これからの日本の若者たちに
身につけてもらわなければなりません。

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