礼儀正しい子供に見る、いい子ほど非行に走る心理学的な理由

礼儀正しい子供に見る、いい子ほど非行に走る心理学的な理由
今回のテーマは、

礼儀正しい子供に見る、いい子
ほど非行に走る心理学的な理由

について紹介します。

喫茶店やレストラン、あるいは
病院の窓口などで、

言葉使いも乱暴で

従業員を顎で使って
いるような人がいます。

こうした姿を見て傍目からも
気持ちがいいものではありません。

それを見て、

「賢さは礼儀だ、礼儀を
わきまえている人間は賢い」

と断言した人がいます。

確かにその通りかもしれません。

仕事上の付き合いでもお店などでも
礼儀正しい対応をしてくれると
こちらとしても気持ち良いものです。

その一方で、

例えば、幼稚園くらいの幼児が
友達の家にやってきて、

玄関先で「おじゃまします」
などというのを聞いて、

「こまちゃくれていて気持ちが悪い」

と感じる時もあります。

礼儀=賢さというのは
あくまで大人に対してであり、

子供はまた別ではないでしょうか。

賢さを鼻先にぶら下げている
ような気がするからでしょうか。

礼儀正しい子供を見ると
なぜか不自然な感じがするのは

恐らく私だけではないでしょう。

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本当に賢い子供、いい子はどんな子供か?

子供の言動を見ていて
「賢いな」と思うときと、

「何だかませていて
気持ちが悪いなあ」

と感じるときの、

その違いはどこにあるのでしょうか。

それは、多分、
日頃は見せない賢さを

必要な時に発揮できる
能力という事ではないでしょうか。

例えば

『鉄道員』という映画があります。

あまりネタバレにならないよう、
かいつまんでお話ししますが、

鉄道に勤めるお父さんとお母さん、

お兄さんとお姉さんを持つ
男の子が主人公です。

その子は学校の成績は
さっぱりですが、

鉄道員のお父さんは
彼にとって誇りです。

兄と姉はもう大人ですから、

色々と親には言えない
秘密を持っています。

彼はふとかい間見る
秘密を誰にも言いません。

これは、黙っていた方が良いと感じて

それがみんなのためになると
思って黙っているのです。

それは例え、成績が良くなくても
心理学的に賢い子と言えるでしょう。

一方で、こんなシーンもあります。

運転中に起きた事故がもとで
仲間ともうまく行かなくなった
お父さんを探して、

酒場を周り、やっと
お父さんを見つけるのですが、

無理に連れ帰る事が
できなくて、

悲しくなってその場で
寝てしまう一面も見せます。

賢いというよりは、
子供らしいいじらしさや
優しさが出てくる所です。

そこが、監督の
ピエトロ・ジェルミの上手い所で、

ここでもし彼が、

お父さん帰ろうよとか、
お母さんが可哀想だよ

などいったら、いやらしい
形で嫌な賢さが出てしまった
のではないでしょうか。

いい子ほど非行に走る心理学的な理由

つまり、この男の子は、

正確に言うと「賢い子」ではなく、

「賢い事ができる子」

という事になります。

子供が常に賢いなどと
言う訳ではありません。

そしてそれで良いのです。

そうして少しずつ成長し
大人になっていくわけですから、

まあ、もしいつも賢い子がいたら
気持ちが悪いだけです。

子供にいつも賢くあれと
求めるのはむしろ危険です。

いつか破綻をきたすに
決まっているからです。

だからこそ悪さやいたずらも
オッケーなのではないでしょうか。

非行に走った子供を持った
お母さんたちが、

昔はあんなにいい子だったのに…
などと嘆きますが、

子供たちは、いつもいい子で
いる事に疲れてしまったのです。

あるいはいい子に押さえつけ
過ぎたことの反動かもしれません。

心理学的に見て賢い事ができる子供は、

普段はやんちゃでイタズラで
抜けている所もあってという具合に、

両方がバランスよく
同居している物なのです。

礼儀正しく育ち、
勉強もできるいい子ほど

たまったフラストレーションが
爆発し極端な非行に走るケースが
多いのです。

礼儀正しい子供=いい子は本当か?

そうです。

子供のうちからある程度の
ヤンチャやいたずらをさせるほど、

子供らしい心理的な発達をして、

青年になっても極端な
非行に走ることはなくなります。

しかし子供頃から礼儀正しい
どこか大人びた子供は、

一見賢いいい子に見えますが、

心理的には何かしらの
鬱憤が溜まり、

それが爆発するわけです。

そして極端な非行に走ったりします。

ドストエフスキーの『白痴』
という小説には、

白痴と呼ばれるほどの
無垢な純粋さを持つ

ムシンキンと言う名の
公爵が主人公として登場します。

スイスの精神病院から戻った彼が、

欲望と誇りと傲慢さの
渦巻く人間模様に巻き込まれ、

キリスト的な愛と憐憫で
人々の間に和解をもたらそうとする
虚しい努力を描いた作品です。

そんな白痴に等しい
彼の姿に賢さを感じます。

遠藤周作さんの
『おバカさん』に描かれる、

フランスからやってきた
ガストン・ボナパルトという名前の
馬面の間抜け顔の主人公も、

賢い男とは縁遠い感じで登場します。

始めてやってきた日本で、

騙されたり、やくざに
脅かされたりと、

ひどい目に遭いながら
それでも相手を信じ、

善意を持ち続けるのです。

遠藤さんの軽妙な描写で

彼の「おバカさん」ぶりは
遺憾なく発揮されるのですが、

読んだ後で、読者は彼は本当に
「おバカさん」だったのかな…

という不思議な感慨に
とらわれるのです。

寅さんだって賢いと私は感じます。

このように考えると、

賢いというのは

人の気持ちがわかる事、
人のことを思いやれる事である

と言い換えていいのかもせません。

こうした能力は
教科書には載っていません。

だからこそ、教科書に載る
マニュアル通りに動けるような、

礼儀正しい対外的にいい子や
学校の成績がいい子ほど

成長するにつれ非行に走る
のかもしれません。

この辺りをうまくバランス取り
教育をするのが重要なのではないでしょうか。

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