人の能力は数値化しにくい、柔軟な考え方の子供に育てる方法

人の能力は数値化しにくい、柔軟な考え方の子供に育てる方法
今回のテーマは、

人の能力は数値化しにくい、
柔軟な考え方の子供に育てる方法

について紹介します。

私たちは勉強というとつい、

学校の試験勉強、そして
その点数によって頭の良し悪しを
判断してしまいます。

もちろんこういったシステムに
利点がないわけではありません。

しかし、本当の意味の頭の良さは
もっと別のところで測られてもいいでしょう。

以前、頭の良さに感心した
こんなエピソードがあります。

介護福祉士を目指し
勉強中の私の知人の一人が

老人ホームで実習している時の
エピーソードが興味深いので
紹介します。

彼の職場は特別養護老人ホームなので、

痴呆症のお年寄りが多いとの事、

ある日、一日中、

暗くなるまで廊下のベンチに
座り続けているお年寄りがいたそうです。

「何をしているの?」

と尋ねると、バスを待っている
と答えたそうです。

「家に帰らなければならないから、
さっきからバスを待っているんだけど、
ちっとも来ないの」

というおばあさんに、

普通ならなんて答えるでしょう。

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柔軟な考え方が賢さを測る指標に

「家ではなくホームに帰るんだよ」

と教えるのが教科書通りの
答え方なのかもしれません。

ここで彼はとっさに

「今日のバスはもう行っちゃったよ」

と答えたそうです。

「あらまあ、私が居眠りしている間に
来ちゃったのかしら…」

とおばあさんはがっかりしました。

そして

「今日はもうバスは来ないから
ここに泊まっていけばいいじゃない」

というと

「そうだね。そうさせて
もらおうかしら。ありがとう。」

といって、そのおばあさんは
自室へ引き上げていったそうです。

柔軟な考え方でとっさの場合でも
このような受け答えができる人は、

命令や押しつけだけで
行動してきたマニュアル人間には
絶対にできない事です。

こう言う人をアドラー心理学では
賢い人と呼ぶのです。

柔軟な考え方の子供に育てる方法

学校のテストの答案に
複数答えがあるとしたら、

先生は大変でしょうから、

基本的に答えは一つです。

しかし、現実社会で悩みや問題に
ぶつかった時、

その対処方法は一つではありません。

いかに複数の答えを浮かべることが
できるかは脳の使い方として重要です。

お年寄りと言えば、知人の娘さんに

子供とお年寄りは任せておいて
という頼もしい人がいます。

彼女はお年寄りの患者さんが
多いという病院で働いているのですが、

例えば、月に一回払えば
いいことになっている医療費を
毎日払う気になって

財布を取り出すおばあさんに
決まりを説明するという事を
絶対にしないのです。

「今日はいいんですよ」

と答えて納得させて帰します。

翌日、また同じやり取りをします。

毎日毎日、同じ会話が
繰り返されるという訳です。

しかし、彼女は諦めず
それをやっています。

月に一回でいいんですとか、
支払いは一日と決まっていますとか
説教じみた事は

相手を不快にするばかりだと
知っているのでしょう。

彼女を孫と間違える人もいるそうです。

一緒に帰ろうと言って
待っているお年寄りに

「まだ仕事が終わらないの」

とだけ答えるという彼女は

「先に帰ってて」

とは言いません。

後から帰ってくると思って待っている
事になるかもしれないからというのです。

学校の成績が社会で通用する?

柔軟な考え方のできる
相手の気持ちの動きを察知する

賢いアンテナを持っているのだと
感心させられます。

彼女は社会的に見れば
いい大学を出ている訳ではなく
頭がいい人とは言えないかもしれません。

特別な資格や外国語はできない
と言っていましたから、

自分では自分のことを「頭が悪い」
と思い込んでいる様子です。

ただし相手を思いやる力があり、
柔軟な考え方ができる人です。

私から見ればこれほど賢い人は
なかなか他にいません。

この能力は成績表のように
数値化できないものです。

柔軟な考え方の子に育てる際も
数値化や成績という点数に
フォーカスすれば、

大切な部分を見失いかねません。

学校や塾では教えてくれない部分に、

人生の大切なものはあるのではないでしょうか。

こうした部分を磨くことを
現代の教育は怠っていないでしょうか。

能力は数値化しにくい

そうです。

私たちの賢さ、能力は
数値化できないのです。

また幼稚園や小学校などに
よく見られる光景ですが、

いわゆるお勉強はさっぱりできないのに

他の事では素晴らしい
能力を発揮する子供がいます。

例えばお遊戯会のグループ分けなどを頼むと

各人の能力を上手く案配しながら
巧みに分けてしまったり、

仲間はずれができないように
工夫したりする事ができる子供です。

算数の九九や国語の漢字は
少しも覚えないのに、

表現力が巧みで、劇の会などで
見事な演技を披露する子供がいます。

クリスマス会などで、

つまらない思いをしている子供がいないように
さりげなく気遣いをしている子供もいます。

これらの子供たちを
ただ勉強ができないからという理由だけで

十把一絡げにくくって
しまっていいものでしょうか。

彼らは柔軟な考え方のできる
賢い子供に育っているのです。

あらゆる分野で賢い
という訳ではなくても、

こう言う賢さを持った子供たちは
大きくなって、

必ず世の中の役に立つでしょう。

社会から歓迎される
大人になるに違いありません。

今あげたように、
賢さには様々な賢さがあります。

知能と違って、
能力や賢さは知恵ですから

50点とか100点とか
数値化して計る事はできないのです。

女優の吉行和子さんが
何かの対談でおっしゃっていたのですが、

「牡丹ぶった桔梗なんて
こんなに醜いものはないと思う、

桔梗はしっかり桔梗
になったときが最高だと思う」

と語っていましたが、

比較できないと言う点で、

賢さも同じ事が言えるのではないでしょうか。

世界に一つだけの花という
歌も流行りましたが、

私たちはこれからの時代、
もっと個性や自分らしさを見つめて、

能力を磨いていく時代なのかもしれません。

こうした前提で子供達の教育を
考えるとまた別の視点が生まれそうです。

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