日本の健康と美容と”衛生”の意識の広がり国の取り組みの歴史


今回のテーマは、

日本の健康と美容と”衛生”の
意識の広がり国の取り組みの歴史

について紹介します。

現代日本では衛生への意識が
非常に高い国になっています。

しかし歴史上ずっとそうだったか、、

と言われればおそらく違うでしょう。

私たちはこうした事実を
言い伝えや文献でしか知り得ないわけですが、

タイムマシンで当時に戻り、

五感で感じることができるならば、

その意識の違いは明確になるはずです。

美容というのは健康なくしてありえない、

意識の高い現代人ならしっかりと
理解しているコンセプトでしょうが、

こうした考え方の土台となる基礎は、

日本では、近代になって改めて
意識的に形作られたものなのです。

日本の健康と美容と「衛生」の
意識の広がり国の取り組みの歴史の
背景を簡単にみていきましょう。

富国強兵と衛生という意識改革

日本の近代化のきっかけは、

教科書にもあるように、

明治維新がその始まりです。

国を閉じていた鎖国制度が終わり、

開国をするとともに

古い慣習を捨て去り、

とにかく西洋に追いつき追い越せ
という時代です。

「富国強兵」という
スローガンが掲げられていました。

そのためにまず西洋人に
比べて劣る日本人の体格や健康の
増進がはかられたのです。

明治5年には学校制度が敷かれ、

体育は必須科目になり、

その後、文部省は体操伝習所を
設立して体育学教員の要請に取り組みます。

そして微生物に関連すれば、

当時流行していた、
コレラなど伝染病、感染症の撲滅も
国の取り組みとしての急務の一つでした。

こうして日本では医学も生活意識も全て
西洋文明に習っての大改革が始まります。

明治政府はそのお手本を
ドイツに求め、

医家出身の長与専斎(ながよせんさい)
を派遣、視察させます。

長与は、日本に帰国後、

文部省医務局長に就任したのち
明治9年には、

衛生局と名付けて内務省に
改めて政府機関を創設します。

これが後に厚生省となりますが、

日本の歴史でいわゆる「衛生」の意識が
広がった最初の取り組みと言えるでしょう。

「衛生」の意識の広がり国の取り組みの歴史

衛生という言葉は、

もともと中国の「荘子」の中にある言葉、

「衛生之経(生命を守る根本の道)」

からきた言葉で、

ドイツ語の

「ゲズントハイツプフレーゲ」
(Gesundheitspflege)

の訳語として長与が採用しました。

もちろんそれ以前の日本人も、

衛生、清潔という概念は
使われていたはずですが、

現在も使われている意味合いで
「衛生」という言葉が近代に登場したのは、

この時が初めてであったとされています。

思想や概念は西洋から持ってきて、
その訳語も大和言葉ではなく
漢文から名付ける。。

この辺りの明治期の日本人の
舶来好きは興味深い点ですが、

もしかしたら、

微生物に対する誤解もこの辺りで
生まれてしまったのかもしれません。

健康と美容と「衛生」には
密接な関わりがありますが、

ただ消毒をしさえすれば
衛生は保たれると思ったら、

大きな間違いなのですから。

健康と美容と「衛生」の関連性

明治16年には、

民間機関である、
「大日本私立衛生会」が設立され、

(現在の財団法人日本公衆衛生協会の母体)

官民一体となり衛生思想は
日本全国津々浦々に浸透していきます。

テレビやインターネットもない時代、

「衛生演説会」や「衛生展覧会」

などを開催し、

伝染病や様々な病気を予防するために、

色々な形で衛生という意識や知識を
普及させたのです。

庶民に分かりやすくするためにも、

見世物的な内容のものが多かったそうです。

分かりやすく多少大げさな
表現も見られたようです。

衛生という言葉は、

日本の歴史上、
近代化を象徴する言葉であり、

人々に明るい未来を約束する、
力強い正義の味方、

反対に「不衛生」というのは
人に害をもたらす憎むべき悪者、

というイメージを定着させたのです。

富国強兵という思想の
根幹を握る概念だったのです。

こうした思想を全国民に行き渡らせ、

西洋列強と肩を並べる
近代国家を形成しようと、

あらゆる手立てが講じられたわけです。

現代でいうこのキャンペーンは
見事大成功し、

明治20年代から、

いわゆる「衛生ブーム」が巻き起こります。

「衛生ぼーろ」「衛生無比のワイン」
「衛生歯磨き石鹸」など、

衛生と名のつく商品は売れ、

衛生美容術という美容法も
この頃登場したと言います。

今では日本は世界でも有数な
清潔で衛生意識の行き届いた国
と言えるでしょう。

しかしまだ見逃している
ポイントもあるわけです。

衛生唱歌で衛生の意識が広がる

また明治33年には、

「衛生唱歌」なる歌も作られ、

日本国民はこうした歌を歌うことで
自然に衛生の意識を
生活に身につくよう指導されたのです。

衛生唱歌原本

この歌の作詞家である、

三島通良さんは医学博士であり、
学校衛生の生みの親です。

今、その歌詞内容を見てみると
多少違和感を感じるものもありますが、

基本的には、

身を清潔に保ち、飲食に注意し、
免疫力をつけて病気にかからない

強い肉体を作ろうという趣旨で、

現在の健康法にも通じる、

衛生と健康をしっかり
結びつけているのは興味深いです。

また歌詞にあるように

「強壮偉大の魁男子 健康艶美の真婦人」

という言葉で男女の目指すべき
理想型を説いていますが、

ここに健康という当時、使われだした
言葉と「美容」という言葉が
結びついているのも注目です。

健康と美容と「衛生」は
密接に結びついているのですが、

当時から現在まで、

見逃されがちなのが、

微生物の役割なのです。

伝染病から身を守るために、

微生物を排除するという考え方は
真の衛生意識ではないのです。

いかに共生するかが重要です。

衛生唱歌は100年以上前の言葉ですが、

この考え方を持っていれば、

現在でも健康維持に役立ち、
感染症や食中毒は減るでしょう。

つまり自分で気をつけ身を守ることが、

衛生、健康、美容を維持する
基本中の基本なのですが、

現代人はそれを忘れがちです。

日本の健康と美容と”衛生”の
意識の広がり国の取り組みの歴史
を見ると

色々なことが見えてきます。

ただ一つ言えることは、

文明が進んでも体の基本的な
仕組みは変わらないわけですから、

強い薬品や抗菌グッズに頼る前に、
当たり前のことをしっかり守る。

これが大切なのでしょう。

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