心理学と宗教、信仰に見る自分の頭で考える子に育てる方法

心理学と宗教、信仰に見る自分の頭で考える子に育てる方法
今回のテーマは、

心理学と宗教、信仰に見る
自分の頭で考える子に育てる方法

について紹介します。。

もちろん世界でも未だに
宗教をめぐる対立がありますが、

日本では宗教をめぐる
大きな事件が起こりました。

オウムの事件が起きてから、

様々なジャーナリズムが
宗教と信仰の問題を
取り上げました。

また色々な人たちが評論しました。

中には、あんなのは宗教ではない
と評論した人もいますが、

それは別問題として、

多くの若者たちが現実に信仰と
修行のプロセスに入ったと言う
事実はあるでしょう。

そのきっかけは色々あるでしょうが、

なぜ彼らがそういうプロセス
に入っていったかについても
分からない事が多いのです。

作家の橋本治さんは

結局彼らは

「自分の頭で物を考えられなかったから」

だとしています。

この問題は現代社会において、

教育について深く考えなければ
ならない問題提起と言えるでしょう。

確かに知識の詰め込み偏重では、
自分の頭で考える力が低下します。

そういう人間は、
自分の頭で考える事を放棄し
人の頭を頼るようになります。

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自分の頭で考える子に育てる方法

自分で考えられないのですから
ロボットになるしかありません。

そしてこれからの世の中
ロボットやITテクノロジーの
技術は間違いなく発展するでしょう。

そうすれば人間の仕事の
大半がロボットに奪われます。

自分で考える力がある
人のみが残っていくような、

シビアな社会になるかもしれません。

自分の子供をそのような
自分の頭で考えない子に育てるのは
かなり危険とも言えます。

ここでは宗教の是非を
問いたいわけではありません。

信仰の自由はもちろんですが、

ちょっと心理学的に考えてみれば、

果たして宗教が真の救いに
なっているかは疑問もあります。

例えば、
オウムに入る人の多くが、

「自分のために」

入ったのではないでしょうか。

自分が救済されるためか
自分のアイデンティティーを
確立するためか、

それはわかりません。

しかし少なくとも自分が
修行を積んで、

他者のために尽くそという人は
あまりいなかったのではないでしょうか。

でなければあんな事件を
起こそうとは思わないはずです。

宗教のというのは簡単に言えば、

基本的にこの世は仮の世だ
と言っています。

そして別にあの世という物がある、

来世という物があると、

キリスト教も仏教も
来世という物を信じなさい。

そして来世でよりよく生きるために

この現世で徳を積んだり、
前世の罪を悔い改めなさい
と言ったりします。

ところがこう信じるためには
よほど深い認識と信仰を必要としますから

多くの宗教は、手っ取り早く
信者を獲得するために

「仏様を信じて拝むと、
こんなご利益があります」

とか

「神を信じて祈れば、
素晴らしい心の平安が得られ、
悩みから解放されます。」

などという現世の利益を
強調するようになります。

心理学と宗教、信仰に見る他力本願

そして一般の人々にとっては
この方が分かりやすいのです。

あるんだかないんだか
分からない来世を信じるよりも、

現実に

「一心に祈ればきっと
きっと病気から解放されますよ」

とか、

「お布施を弾めば、
もっと能力が発揮できるようになって、
大学にちゃんと入れるようになります」

と言ってくれた方が、
とにかくありがたい、、

そういう誘いは、客観的には
たとえ全く根拠がないものでも

その問題で悩んでいる人にとっては
福音のように響きます。

そして入信するようになるのです。

しかしここには、
賢さというものはありません。

心理学的に考えればこうした経緯では
自分の頭で考える人にはなりません。

自分の頭で考える子に育てる方法
としては危険とも言えます。

最近ではスピリチュアル系の考え方や
パワースポットなども流行っています。

もちろんそういう場所に
訪れることが悪いとはいいません。

しかしその根本思想が
あまりに単調な他力本願なら、、

再び人類は過ちを繰り返しかねない
という危惧すら抱かせるものです。

心理学と宗教と自分の頭で考える方法

個人救済という事も
もちろん大切な事ではありますが、

苦しみを通じて自分の頭で考え
そして成長する事は大切です。

そして他人への思いやりを
軽視したらもはや組織として
続かないものになるでしょう。

これから私たちが子供たちを教育し
賢い子に育てる方法としては

他力本願ではなく

自己責任を学ぶべきでしょう。

さらに言えば、

宗教の根本を考えれば、

本当は同時に他者救済も常に
考えなければならないはずなのです。

自分も救われるし他者も救われる

そういう視点があって初めて
大きな賢さが現れるのです。

宗教と学問はもちろん違いますが、

アドラー心理学が学問としての
レベルで考える事は、

もとより来世の事ではなく、

この現実の世界において

どうやって私たちが仲良く
暮らしていけるかという事です。

そのために人間一人一人が

どういう知恵を獲得していけばいいか、

どうやって賢くなっていけばいいか
という事ではないでしょうか。

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