善悪の判断ができる思いやりのある子供の心理学的な育て方


今回のテーマは、

善悪の判断ができる思いやり
のある子供の心理学的な育て方

について紹介します。

思いやりや優しさというのは、

人間関係に必要な要素です。

優しさが時に人の命を救う…

と言っても大げさではないくらい、

これまで人類が発展して来た
何か特別な感情な気がします。

そして優しさ、思いやりを
発揮する才能というのは、

それはまさしく学校のテストでは測れない
貴重な賢さの一つだと思うのですが、

その定義は難しいもので、ぼんやりと
したものではないでしょうか。

アドラー心理学の観点から
これを考えてみましょう。

以前

『あなたに遭いたい』

というテレビ番組があったのですが、
あなたはご存知ですか?

事情があって、長い間別れ別れに
なってしまった親族や友人を捜して
対面を果たしてもらおうという番組でした。

その感動の対面を果たす本人だけでなく
見ているこちら側も思わず涙ぐんで
しまうことが多かったのですが、

その中で印象に残るエピソードがあります。

あるとき、いじめられっ子だった
自分を救ってくれた友達に会いたいと言う
女性が出演していました。

このケースが思いやりのある子供の
育て方、そして真の賢さを育てる
教育について考えさせる内容でした。

その女性は小学校の頃
家が極度に貧しかったために、

文具や洋服の購入もままならず、

友達の親からも「遊んでは行けません」
と言われ、孤独で友人もおらず、

物がなくなれば疑われるという
小学生時代の思い出を語っていました。

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思いやりは自然と生まれるもの

そんな彼女の学校生活で中でも
辛かったのは月に一回くらい行われる
席替えだったと言います。

この席替えという行事を、

小学校時代の「嫌な思い出」として
あげる人は意外に多いようです。

誰と誰が近くに座るか、小さな
コミュニティの凝縮ですから、
複雑な心理がそこにはあります。

特に、好きな人同士一緒に
なっても良いという場合の席替えで、

普段から友人と遊ばずにいた彼女に
声を変えてくれる人はいなかったそうです。

そんな孤独感を感じるような辛い
思いで一人立ちすくんでいた彼女に、

「一緒になろう」と言ってくれたのは、
転校してきたばかりの友人でした。

その友達は、席替えのその後も
変わることなく仲良くしてくれ、

お母さんも分け隔てなく
歓迎してくれたそうです。

それだけ彼女の心に明るい
光が灯したという事でした。

「もし、あのときその友達が
いなかったら私は死んでいたかもしれません。

今私があるのは友達のおかげです。」

と涙ながらに思い出を語る
彼女の前に友達が現れました。

しかし、その友達はきょとんとしています。

席替えの時のことなど
何も覚えていないというのです。

アドラー心理学で言う賢さ

私がここから学んだのは、
人間関係における思いやりについてです。

思いやりのある人というのは、

親切心や気遣いを意識的にする
能力だと思っている人もいますが、

本当は無意識に自然にできることで
はないでしょうか。

恐らく、その当時の彼女の気持ちの中には

「可哀想だから一緒になってあげよう」

という哀れみの心はなかったのでしょう。

知らず知らずのうちに、結果的に
一人の少女を救っていたという訳です。

私は、この結果をいい結果だったと
感じながら見ていました。

「世の中に役立つ賢さ」

というのはこう言うものでは
ないかと思ったからです。

分け隔てなく歓迎してくれたという
お母さんから受け継いだこの賢さは、

きっと子供たちにも
受け継がれていることでしょう。

これこそ家庭教育の真骨頂です。

自然と善悪の判断ができる
思いやりのある子供の育て方
ができていたのでしょう。

その優しさが先ほどのケースでは
一人の女性を救っていたのです。

善悪の判断ができる子供の育て方

アドラー心理学では

賢い能力の使い方を、
他人に役立つという観点で見ています。

他人に役立つ使い方をして
初めて賢くなるということです。

その定義からいえば、

学校のカリキュラムはその
ゴールを達成するようには思えません。

ですから、例えば、

養護老人ホーム建設を
大義名分に立てて、

私利私欲を肥やしていたような人の場合は、

賢いという言葉の前に「悪」を
つけなければならない賢さでしょう。

現代社会では常識的な善悪の
判断すらできない人もいます。

公務員には公務員規定というのがあります。

「私は国民全体の奉仕者として
公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、

日本国憲法を遵守し、

…公正に職務の遂行に当たることを誓います」

という宣誓分が読み上げられ、
署名することまで義務づけられています。

このように、明文化
されているにもかかわらず

贈賄収賄が横行している
世界がある一方で、

自分では気づかれず人を
助けていた人がいたというのは
一体どういうことなのでしょう。

どちらが賢いかはいうまでもありません。

これも学校のシステム、
テストのシステムの弊害という
一面はあるような気がします。

思いやりのある賢い子供を育てる方法

だからこそ家庭教育では
あらゆる観点から子供を
賢くする知恵が必要なのでしょう。

クラス分けと言えば、

小学校五年生のとき、
班長になった女の子が母親にした
という報告も印象的でした。

自分の班に誰を入れようかと考えたとき、

相談を受けた彼女の親友は

「私は、あなたのところに入りたい。
だけど入りたくない。だから入らない。」

と言ったというのです。

もし自分がその班に入ったら、

他のメンバーが辛くなるのではないかと
考えたのでしょう。

そんな複雑な思いを
このような言葉で表現した親友も賢い

そしてその意味を即座に悟って
母親に報告したという彼女も
賢いと私は思います。

本当の賢さというのは
この世に他者の役に立つものだ
と個人的には思います。

この心理学的な観点を忘れなければ
善悪の判断ができる思いやりのある
子供の育て方ができるでしょう。

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