人のことと自分のこと、自分と他人のバランス感覚が賢さの鍵

人のことと自分のこと、自分と他人のバランス感覚が賢さの鍵
今回のテーマは、

人のことと自分のこと、自分と
他人のバランス感覚が賢さの鍵

について紹介します。

ある宗教を熱心に
信じている人と知り合いになった女性が

彼女の考えを知りたいと思って

その宗教のことを尋ねたそうです。

すると、返ってきた答えは
「輪廻」という言葉でした。

この宗教を信じていれば、

人は生まれ変わるというのです。

オウム真理教が告発され、

これまで内外のあらゆる
宗教を受け入れてきた寛大な国
である日本でも、

にわかに宗教評論家が
増えた感があります。

単純化してしまえば、

オウムは自己救済の宗教と言えます。

自分の能力を高め、
超能力を身につけよう、

修行によって空中浮遊もできるようになろうと、

まさに個人的な欲求を満たし、
個人的な救済を目指していると
言えるでしょう。

信者を増やす方法も、

この宗教を信じれば、
救われますよということであって、

みんな一緒に幸せになろうよ
という訳ではないのです。

ハルマゲドンが来ても、
オウムにいれば大丈夫ということは

入らない者はどうなっても
良いということです。

自分のこと中心の考え方と言えます。

それは賢さとはほど遠いもの
と言って良いでしょう。

自分に偏ったバランスの悪い
考えではないでしょうか。

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自分と他人のバランスが賢さの鍵

アドラー心理学では、

賢さは信じることである
という定義の意味は、

宗教を信じると言う
意味は全く違うものです。

個人救済ではなく、

いつも仲間との関係を問題にしているのです。

自分が救われることを
求めているのでもなく、

自分が犠牲になることで
他者を救うということでもありません。

人のことと自分のこと
そのバランスが大切と説きます。

このことを、少林寺拳法の
開祖の言葉から説明してみたいと思います。

ある少林寺拳法の先生の話しによれば、

少林寺拳法は本来、

達磨大師がインドから伝えたものですが、

それは、1900年代に
ほとんどの指導者を失い
壊滅状態になっていました。

戦後、岡山県出身の宗道臣
という人がそれを復活して

日本正統少林寺拳法を
始めたのです。

香川県の本部には

五重塔のようなものがあって、

少林寺拳法の開祖の文章が載っています。

そのなかで

「なかば自分のために、
なかば人のために」

という文章が目に留まりました。

それはアドラー心理学の神髄を
表してる言葉だったことに、

本当にびっくりしてしまいました。

少林寺拳法の開祖が
アドラー心理学を知っているはずがありません。

しかし、そういうある一つの
頂点を極めた人は

実に良いことを言うなあと感心しました。

そして、普通の学者の言葉ではなく、

ある道を究めた人の言葉が、

アドラー心理学と一致していることに
感慨を覚えたのです。

自分のやってきたことが

間違っていなかったと
証明されたようで

不思議な喜びを感じたものです。

自分と他人のバランスが賢さの鍵

一芸に秀でた人が必ずしも
賢いということは言えないでしょう。

オウムの教祖も、あれだけ
高学歴の人を惹き付けるだけの
魅力があったと言う点で、

秀でていたのかもしれません。

しかし、本当に一芸に秀でる
ということは、

恐らく、それがどれだけ
世の中の幸せとつながるのかということに
通じるものだと思います。

「人のために尽くしなさい、
自分を捨てても、人のことを考えなさい」

ということを言う人もいます。

また逆に、

「人のことよりも、
自分のことをまず考えなさい。

それでなければこの世は
生きていけないよ」

と後輩に説教する先輩もいます。

しかし、そのどちらも
賢い生き方とは言えません。

自分のために半分くらい楽しんで、

残りの半分くらいは人のために
とうのがちょうどいいのではないでしょうか。

人のことと自分のこと
どちらも大切です。

つまり、言い方を変えるなら、
自分を全部否定するのでもなく、

全部肯定するのでもなく、

自分が半分くらい幸せを
感じておいて、

残りの半分を幸せの人に分けてあげる
人のために働く、

という中道の感覚、

自分と他人のバランス感覚をいつも
持っていたいということでしょう。

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