頭がいい人と天才、常識がある人と非常識な人の特徴や関係

頭がいい人と天才、常識がある人と非常識な人の特徴や関係
今回のテーマは、

頭がいい人と天才、常識がある人
と非常識な人の特徴や関係

について紹介します。

日本もずいぶん昔と変わって、

近頃の若い恋人たちは
電車の中などでも

ずいぶんおおっぴらに
愛情表現をしている事があります。

ぴったりと身体を寄せ合い、

相手の髪を撫でたり肩を抱いたり、
頬と頬と寄せたりして、

中には素早くキスを交わしていたり
するカップルも見かけます。

こうした光景に接して

感じ方がABC3つあるとしましょう。

例えばこんな姿は
全然の昔だったら、

まず間違いなく「非常識な人」と
ほとんどの人から非難されたでしょう

今では年配の人ならば

公衆の面前であんなにイチャついて…と

苦々しく思う人も
いるかもしれません。

まずこれがA、

しかしある程度若い人になると、

日本人の愛情表現の仕方も
欧米人のスタイルに近づいてきて、

なかなか良いじゃないか、、

と考える人もいるでしょう。

これがBです。

ところがまた別の人は、
こう思うかもしれません。

抱き合ったり、頬を寄せたり、
キスを交わしたりすると言う行為は、

欧米人の文化の中で、

挨拶などの生活習慣として
自然に身につけたものであって、

日本の精神風土においては
それはまだなじまず、

見ている人間に不快感を
与える場合があります。

だから二人の時ならともかく、

公衆の面前では
遠慮すべきだろうと、

これがCというわけです。

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頭がいい人と常識がある人の関係

私は賢い人の特徴というのは、

基本的に「常識」がある人だと思っています。

ところがこの常識という言葉は、

分かったようで分からないところがあって、

なかなか難しいのです。

今の例でいえば、

この男女の行為は戦前までの
日本の常識に照らせば、

ずいぶん外れたものになるでしょう。

かなり非常識な人といえます。

しかし現代の常識では、

まあいいじゃないか、

という解釈も成り立ちえます。

つまり、普通の意味でいう
常識は時代とともに変わっていく、
という一面があります。

しかしだからと言って
頭がいい人か悪い人かという判断はできません。

「あいつは常識のない困った人だ」

とか、

「なんだ、そんな事くらい常識じゃないの?」

というごく表面的な軽い意味で使えば、

AとBにおける判断の根拠は

そういう程度の常識です。

しかし、表面的ではなく、
本当の意味での常識とは、

例えばCのような判断が
できる事だと思うのです。

天才というのは総じて、
凡人からは非常識に映ります。

とは言え、本当に常識から外れる人は
賢い人、頭がいい人とは言えません。

この辺りの常識との
つき合い方というのは非常に難しいものがあります。

常識がある人と非常識な人の特徴

常識という言葉は
もともと日本にはありませんでした。

明治の文明開化によって

欧米から移入された言葉
「コモン・センス」の訳語です。

長く続いた封建社会の中へ、

急に西洋から「自由、平等、独立の考え」
というものが入ってきた訳ですが、

これは当時の日本人にとっては

まさに天地がひっくり返るほどの
価値観の転換でした。

そうした風潮を作った
きっかけとなったのが、

福沢諭吉の「学問のすゝめ」
であり、

福沢の思想の根幹は、
このコモン・センスを尊重
するところにあったのです。

しかしコモン・センスの思想は

例えばフランス革命や
アメリカの独立戦争など

西欧の人々が多くの血を
流して勝ち取り、

築き上げた重みのある内容のものです。

それを上辺の言葉だけ
移入したところで、

なかなかその神髄まで理解し、

一般化する事は
簡単な事ではありません。

だからいまだに

「そんなの常識だよ、常識」

などと、ごく表面的な
使われ方しかしないのです。

人間社会における本当の常識
(コモン・センス)とは、

人間が歴史的な時間をかけて学び、

コンセンサスとして出来上がった、

ある意味で「知恵の集約」
のようなものです。

結晶体みたいなものです。

だからそれはいつまでも
古びません。

そういった常識の捉え方次第で

頭がいい人や天才、
常識がある人と非常識な人の特徴や関係

は変わってきてしまうのでしょう。

天才は非常識な人?

ちなみに辞書にはこう書いてあります。

「常識=普通一般人が持ち、
また持っているべき標準知力。

専門的知識でない一般的知識とともに
理解力、判断力、思慮分別などを含む」
(広辞苑)

常識というのは、
突出した特異な考え方ではありません。

天才的な、他の人間とは
全く違う特殊な考え方とか行動は、

時として創造的であり、
社会にプラスになる事もありますが、

しかし逆に害になる場合もあります。

これは常識とはいいません。

常識とは日常的なものであり、

誰でもが小さい時から
学んで身に付いていくものです。

そして自分なりに工夫していかなくてはなりません。

頭のよさ、賢さと常識は
相反するものではないですし、

常識にとらわれすぎるのは
脳の機能に制約をもたらします。

工夫がないのは、単に
硬直化した常識という
マニュアルを暗記する事と同じです。

それではしなやかな
判断力はつきません。

賢い人は、いつも工夫を重ねて
自分の常識を深めているのです。

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